先般、3月29日(土)に新宿区剣道連盟として初めて開催する「八段指導稽古会」が行われました。小生には事前に講話の依頼があり、それ相応の準備をしておりましたが、追って「15分程度で」という一文が記された文書が届いたので、あのような短い内容となりました。
そこでこの剣談の場を借り、予定していたお話の内容を肉付けして紹介させていただきます。
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1945年(昭和20年)8月、第二次世界大戦の敗戦は剣道界に大きな打撃を与えました。
わが国はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれることとなります。連合国といっても実際はアメリカの占領下です。
そして1946年(昭和21年)9月、「日本教育制度改革に関する極東委員会司令」が発せられました。
大凡このような内容です。
「…前略… すべての教育機関において、軍事科目の教授はすべて禁止さるべきである。 …中略… 剣道のような精神教育を助長する昔ながらの運動もすべて廃止せねばならぬ。体育はもはや「精神教育」と結びつけられてはならない。純粋な集団体操、訓練以外のゲームや娯楽的運動に、もっと力を入れるべきである。…後略… 」
これによって日本国内は剣道禁止の状態となりました。
その後、約7年間の剣道空白期を置き、1952年(昭和27年)4月、サンフランシスコ講和条約が発効し剣道が解禁となり、同年10月「全日本剣道連盟」が設立されます。
このときに剣道は、武道色を抜き去った完全競技スポーツとして出発したのです。
ここに「伝統の分断」がありました。
いっぽう競技スポーツ化への努力の甲斐があって、1955年(昭和30年)には国民体育大会(現、国民スポーツ大会「国スポ」)の種目に加えられます。
一人前のスポーツと認められたわけです。
1964年(昭和39年)には先の東京オリンピックが開催されました。そのとき柔道が正式種目となり、その競技会場として「日本武道館」が設立されました。
剣道は、日本古来のスポーツということで公開競技として参加します。日本武道館において約2時間半にわたって日本剣道形、剣道の試合、居合道、杖道、古流などを披露しました。
当時の剣道界は総じて「必ずやオリンピック種目に」という志向であったでしょう。
それとともに国際化を目指し、1970年(昭和45年)には第1回世界剣道選手権大会(1WKC)を日本(東京で団体戦、大阪で個人戦)で開催されました。
55年前のことです。
1WKC記録映像
https://www.kendo.or.jp/information/20220408/
こういった競技化・国際化の流れの中で取り沙汰されたのが、「剣道とは何か」です。
戦後、再出発したときの方便である「完全競技スポーツ」のままでいいのか、という問いかけです。
1WKCの翌年、1971年(昭和46年)全剣連に「理念委員会」が発足します。
そして理念委員会における3年余りの討議を経て1975年(昭和50年)3月20日、「剣道の理念」
剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である
が制定されました。
すなわち「武道」への復活宣言と言ってよいでしょう。
これにより分断された伝統が復活したのです。
それからは次第にオリンピックについては取り沙汰されなくなり、また国際化という用語は控え「国際普及」と呼ぶようになりました。
また、「剣道の理念」と同時に「剣道修錬の心構え」が制定されました。
https://www.kendo.or.jp/knowledge/kendo-concept/
剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて礼節をとうとび
信義を重んじ誠を尽して
常に自己の修養に努め
以って国家社会を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんとするものである
そして「剣道の理念」「剣道修錬の心構え」制定されてから32年の歳月が経ち、2007年(平成19年)3月14日「剣道指導の心構え」が制定されました。
今から18年前です。
つづく