小論、昭和59年9月13日付け『警察倫理の確立 -主として剣道の修錬を通じて-』
中の「剣道の倫理的意義について」(抜粋)をご紹介していますが、前号までの項目
1.はじめに
2.剣道とスポーツ
3.身体の鍛練と健全な精神の問題
4.技術の美について
に続きます。
何せ30年ほど前、現職警察官・37歳が書いた青臭い書生論ですが、どうかそこのところを斟酌してお読みいただければ幸いです。
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5.美と倫理
技術の美と倫理は、真の法則の追究という点で軌を一にする。また、人間は安定したものに美を感じる特性を持つといわれる。
林武は、体験的絵画論『美に生きる』(講談社現代新書)において次のように述べている。
[いっさいはつりあいにおいて存在する。宇宙・自然そのものが、すでにつりあいによって成り立っている。この地上に存在するすべてがつりあいであるので、その存在に含まれた人間もまた、つりあいの被造物であった。だから、すべての人間の仕事は、人間自身のために、自然そのものにつりあわしていく営みである、という認識だった。人間の創造活動は、ことごとく、自然・宇宙のつりあいの延長にほかならない。]
[さらに、このつりあいの究極を求めれば、それは、有と無、あるいは生と死とのつりあいであり、それは宇宙の根元的な力であり法則であり、そして、人生の知恵であり、モラルであり、愛であり、美であった。]
[この生命の調和・創造・永続の相(すがた)にこそ、われわれの造形の原理があり、美はそこから誕生する。つまり、人間活動のつりあいこそ、真であり、善であり、そして美であるということである。]
[すべてつり合いがひじょうに保たれているものは、安定感があり、機能が完全でむらがなく、健康で活動性があって抵抗がない。]
[富士山の美しさは、完璧な均斉美である。]
[ピラミッドは人間がつくったっりあいの完全理想の姿の一つのひな形である。]
[海岸の岩根於が表す風情の美は於の木が、その生命のつり合いを保とうとする努力の相を如実に現前したものである。]
[美なるものには、人間の、よりよく生きんとする心がある。]
等々と。
また高村光太郎は、その著書『美について』(道統社)の中で次のように述べている。
[美が元来健康であるというのは、美の本質がもともと比例均衡に基づいているからである。比例均衡というのは人間精神における審美性の最も原始的な要素であり、又同時に最も根本的なものであり …中略… 自然の理法に背反した人工の美は存在しない。]
これらのことを人間と人間のつながりに当てはめて考えてみるならば、人倫結合の原理は、人と人とお互いに、支え支えられ安定、均衡を保つということになる。
つまり個々の感性と理性、あるいは個人の利害と全体の利害という一見相反するものが、その矛盾を乗り越え、つりあい安定するための法則が倫理であり美と言えるのではないか。
西田幾多郎は『善の研究』(岩波書店)の中で、美と倫理を哲学的に結びつけ次のように述べている。
[善とは自己の発展完成であるということができる。即ち我々の精神が種々の能力を発展し円満なる発達を遂げるのが最上の善である。竹は竹、松は松と各自その天賦を充分に発揮するように、人間が人間の天性自然を発揮するのが善である。…中略…ここにおいて善の概念は美の概念と近接してくる。美とは物が理想の如くに実現する場合に感ぜられるのである。理想の如く実現するというのは物が自然の本性を発揮する謂である。それで花が花の本性を現じたる時最も美なるが如く、人間が人間の本性を現じた時は美の項上に達するのである。善は即ち美である。]
[人間が共同生活を営む処には必ず各人の意識を統一する社会的意識なるものがある。言語、風俗、習慣、制度、法律、宗教、文学等は凡て社会意識の現象である。我々の個人的意識はこの中に発生しこの中に養成せられた者で、この大なる意識を構成する一細胞にすぎない。知識も道徳も凡て社会的意義をもっている。最も普遍的なる学問すらも社会的因襲を脱しない。いわゆる個人の特性という者はこの社会的意識なる基礎の上に現われ来る多様なる変化にすぎない。]
さらに西田は同書で、社会的意識の根本は「他愛」であるとし、次のように述べている。
[我々の要求の大部分は凡て社会的である。もし我々の欲望の中よりその他愛的要素を去ったならば、殆ど何物も残らない位である。我々の生命欲も主なる原因は他愛にあるをもって見ても明らかである。我々は自己の満足よりもかえって自己の愛する者または自己の属する社会の満足によりて満足されるのである。元来我々の自己の中心は個体に限られたる者ではない。母の自己は子の中にあり、忠臣の自己は君主の中にある。自分の人格が偉大となるに従うて、自己の要求が社会的となってくるのである。]
また、キケローは『義務について』(泉井久之助訳、岩波書店)の中で、生適生美なものの最も本質的な力は、自然と調和する精神の働きであるとし、次のように述べている。
[あたかも身体の美は肢体の均整によって人の目を惹き、整合の魅力によってそれを楽しませるように、人生において輝く生適さも、すべて言と行における秩序、恒心、節度によって、ともに住む人びとの賛意をかち得ることができる。]
[ちょうど管弦の楽における少しの狂いも、識者の耳を逃れ得ないように、人生におけるわれわれすべての行為がかりそめにも調子をはずさないように心しなくてならないばかりか、人生における行為の調和は、楽の音のそれよりはるかに重大で、はるかに立派なことと知らなくてはならない。]
このようにいずれも美と人生の道義である倫理との同一性を論じている。
<中略>
しかし今日の高度に発達した物質文明は、人間と人間のつながりを希薄にさせ、他人に頼らず生きて行けるという社会構造が形成された。そして道徳意識の欠如、強い権利意識、過保護という生活環境のもと、情欲を抑えることができず自己中心的な行動をとる人間を多数世に送り出すこととなった。また一方、唯物観や功利主義の蔓延が、名人気質あるいは職人気質といった、自己の信念を貫いて生きて行く職業に危機を与えた。
このような現代社会の恐るべき病理的現象に警察組織としても例外なく蝕まれつつあるのは残念ながら否定できない事実である。社会正義を守るわれわれ警察職員は決してこのような風潮に毒されるようなことがあってはならない。
国の安寧秩序を願う、われわれ警察官の自己は、国家及び国民にある。そして自己を、「国家及び国民」と心底から考えられる警察官をつくる教育は、今や武道しか残されていないと考えるものである。
以下次号、次の項目に続く
6.伝統文化として見た武道の倫理的価値
7.現代剣道の倫理的価値
8.試合について倫理的考察
9.おわりに