-『逝きし世の面影』を読む「第三章」-
私たちは子どものころから、何となく江戸時代の民衆、特に農民の生活は暗く貧しく悲惨なイメージが頭の中に植え付けられてきました。
今も、無慈悲な代官、重い年貢、飢饉、間引き、口減らし、など重苦しく暗い映像が浮かび上がってきます。
ところがその当時、日本を訪れた外国人は口をそろえて、地上の楽園、満足、幸福に満ちていると述べています。
むろん人びとの生活はそれぞれの状況により貧富の差があるのは当然のことでしょうが、たとえ貧困であったとしても、貧困が不幸と結びついていないことを彼らは主張します。
♢ ハリス
アメリカ領事館のある下田近郊の柿崎では、
「貧寒な寒村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない」
「この貧民は、貧に付き物の悲惨な兆候をいささかも示しておらず、衣食住の点で世界の同階層と比較すれば、最も満足すべき状態にある」
また、下田を発ち江戸入りを果たすべく東海道の神奈川宿をすぎると、
「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者 も貧者もない。──これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。
そして江戸入りの当日、
「私は日本に来てから、汚い貧乏人をまだ一度も見ていない」
♢ モース
「日本の貧困層というのは、アメリカの貧困層が有するあの救いようのない野卑な風俗習慣を持たない」
「少なくとも日本においては、貧困と人家の密集地帯が、つねに野卑と不潔と犯罪とを誘発するとは限らないのである」
♢ スミス
「徳川時代をつうじて年貢は苛酷なまでに重圧的であった、という通説はまったく誤りであり、時とともに農民に剰余が残るようになった」
江戸時代後期においては、「課税は没収的ではなかった」し、「時とともに軽くなったのである」
♢ ジーボルト
「日本には、測り知れない富をもち、半ば飢えた階級の人々の上に金権をふるう工業の支配者は存在しない。労働者も工場主も日本ではヨーロッパよりもなお一層きびしい格式をもって隔てられてはいるが、彼らは同胞として相互の尊敬と好意によってさらに堅く結ばれている」
♢ ケンペル
「人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい」
♢ カッテンディーケ
「日本の農業は完璧に近い。その高い段階に達した状態を考慮に置くならば、この国の面積は非常に莫大な人口を収容することができる」
♢ オールコック
「自分の農地を整然と保つことにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはない」
♢ メイラン
「日本人の農業技術はきわめて有効で、おそらく最高の程度にある」
♢ ツユンベリ
「耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった」
「最も炯眼な植物学者ですら、よく耕作された畑に未知の草類を見出せないほどに、農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである」
また、「簡素」についても次のように述べています。
♢ モース
「村落そのものの眺めは、まことに雑多である。ある村は家々の前に奇麗な花壇がしつらえており、風趣と愉楽の気分に溢れ、ことのほかさっぱりして美しい感じをたたえている」
♢ カッテンディーケ
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである」
♢ ハリス
江戸で将軍定家に謁見したとき、
「想像されるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。燦然たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイヤモンドをちりばめた刀もなかった …中略… 殿中のどこにも鍍金の装飾を見なかった」
♢ バード
「日本には東洋的壮麗などというものはない。色彩と金箔は寺院に見られるだけだ。宮殿もあばら屋もおなじ灰色だ…富は存在するにせよ、表には示されていない。鈍い青と茶と灰色がふつうの衣装の色だ。宝石は身につけない」
♢ オールコック
日本の豊かさを〝次元の違う豊かさ〟〝異質のゆたかさ〟と表現し、
「これほど広く一般に贅沢さが欠如していることは、すべての人びとにごくわずかな物で生活することを可能ならしめ、各人に行動の自主性を保障している」
「幸福よりも惨めさの源泉となり、しばしば破滅をもたらすような、自己顕示欲にもとづく競争がここには存在しない」
♢ オイレンブルク
「日本人は要求が低くて、毎日の生活が安価におこなわれている」
♢ チェンバレン
「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。…ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」
「日本には貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」
♢ シッドモア
「どの文明人を見回しても、これほどわずかな収入で、かなりの生活的安楽を手にする国民はない」
「木綿着数枚で春、夏、秋、冬と間に合ってしまうのだ」
筆者は、
「農村にも貧富のさまざまな程度が分布するのは当然として、当時の日本の農村がおしなべて幸福で安楽な表情を示していたことは、欧米人の証言からしてほぼ確実といってよかろう。だとするとここで私たちは、苛斂誅求にあえいでいた徳川期の農民という … 長くまかり通って来た定説を一応吟味してみないわけにはいかない」
と述べています。
つづく