-『逝きし世の面影』を読む「第四章」-
これまで日本の地を初めて踏んだ多くの欧米人が最初に抱いた感想で好印象のものばかり紹介しましたが、その内実は好ましいものばかりではありませんでした。
その一例を紹介しますと、
「街路の穢物は際限がなかった。両側にはほとんど裸体の市民が立っていた」
「江戸は… 壮麗な建造物は全然見当たらず、街並み自体、家畜小屋が何列も並んでいるようなもの」
また、「天然痘の痕跡のある人が多い」とか、「疥癬もありふれた病気である」や「盲目の人が多い」という指摘もあります。
それと、前に「乞食がいない」という証言を紹介しましたが、ここでは「乞食がたくさんいる」との記述も散見されます。
これについて著者は、乞食の存在を否定するものではないが、おそらく乞食と上げられている者の中に、托鉢僧とか山伏とか虚無僧といった宗教的な物乞いや、お伊勢参りや巡礼、旅芸人にいたるまでその範疇に入れられている、と釈明しています。
さらに著者は、
「欧米人観察者が日本の古き文明に無批判ではなかったこと、それどころかしば しば嫌悪と反発を感じさえしたこと… しかしその批判者が同時に熱烈な讃美者 でもありえたのはどういう理由によるのだろうか。日本のさまざまなダークサイ ドを知悉しながらも、彼らは眼前の文明のかたちに奇妙にも心魅かれ続けたので ある」
と述べています。
そして、外国人にしか気がつかない日本人の特質として、
♢ チェンバレン
「江戸社会の重要特質のひとつは人びとの生活の開放性にあった。外国人たちはまず日本の庶民の家屋がまったくあけっぴろげであるのに、度肝を抜かれた」
オールコック、モースも同様の所感を述べています。
♢ スエンソン
「どこかの家の前に朝から晩まで立ちつくしていれば、その中に住んでいる家族の暮らしぶりを正確につかむことができる」
と述べ、この開放感がベースとしてあって庶民間の共同体意識が醸成されるとしています。
♢ アルミニヨン
「人々は親切で、進んで人を助けるから、飢えに苦しむのは、どんな階級にも属さず、名も知れず、世間の同情にも値しないような人間だけである」
と記しているのに対し著者は、
「江戸時代の庶民の生活を満ち足りたものにしているのは、ある共同体に所属することによってもたらされる相互扶助であると言っているのだ。…開放的な生活形態がもたらす近隣との強い親和にこそその基礎があったのはなかろうか。…開放的で親和的な社会はまた、安全で平和な社会でもあった」
と述べ、安全と平和に関連し、ふつうの町屋は夜、戸締まりをしなかったことを、
♢ クロウ
「住民が鍵もかけず、何らの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている」
また、ポンペ、オリファント、ムンツィンガー、モースも同様に記し、かぎりなく〝開放的で親和性が強い社会〟であると同時に、〝争いの少ない和やかな社会〟でもあったと表現しています。
また、
♢ モース
「なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来ったかが、段々判ってくる」
♢ ボーヴォワル
「われわれを野蛮人扱いする権利をたしかに日本人に認めないわけにはいかないと感じた」
という記述もあり、少々面映ゆくも感じます。
さらに礼節に関しては、
♢ ディアス
「日本人に関して一番興味深いことは、彼らが慎み深く、本質的に従順で秩序正しい民族であるということである」
「日本人旅行者は、切符売場とか汽車のドアのところに群がることをせず、到着順に並んで、誰一人として先に並んでいる人の場所を横取りしようとはしない」
♢ ヤング
「よく行き届いた完璧なまでの秩序と、親切とやさしい感情である」
♢ モース
「挙動の礼儀正しさ、他人の感情についての思いやりは、日本人の生まれながらの善徳であると思われた」
♢ アーノルド
「この〝日出る国〟ほど、やすらぎに満ち、命をよみがえらせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国は、どこにもほかにありはしない」
としながらも、
♢ チェンバレン
「日本人は、自国の風習の中に留まっている時には、まことに身だしなみがきちんとしているが、ヨーロッパ風の生活のある状態に置かれると、汚らしくなるとまで言わなくても、だらしなくなってしまう」
と、今も日本人にありがちな「旅の恥はかき捨て」を指摘する記述も見られます。
人びとの礼儀正しさといえば、何よりも異邦人の眼を驚かしたのは、彼らが街頭や家屋内で交わすながながとしたお辞儀だとしています。
♢ カッテンディーケ
「礼儀は適度を越して滑稽なところまで行っている。…中略… ちょっとした言葉を交わしている間に、お互いに腰をかがめてお辞儀し、果てしもなくベラベラと喋っている」
♢ オールコック
「かれらは両手をひざのところまでおろし、身をかがめ、息を殺したような感じで口上をのべる」
このことについて、日本人の礼儀正しさの本質を、次のように分析した記述があります。
♢ アーノルド
「日本には、礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する」
「社会的合意、社会全体にゆきわたる暗黙の合意は、心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をも合意している」
著者は、
「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持ちのよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表れていたのは、故なきことではなかったのである」
と述べています。
つづく