新年明けましておめでとうございます。令和2年の年が幕を開けました。どうか今年が皆様方にとって佳き年となりますようお祈り申し上げます。
前回、荒磯親方(元横綱稀勢の里)が、「これからは親方として死ぬまで研究を続け、横綱を育てたいと考えています」と生涯修業の覚悟について述べたことに言及しました。
その言葉に違わずというか、早速、12日に初日を迎える大相撲初場所に向け、今月5日、東京都江戸川区の田子ノ浦部屋へ出稽古に訪れた新関脇の朝乃山を相手に荒磯親方が稽古をつけたとの報道がありました。
一門外の力士に親方が直接稽古をつけるのは異例。しかも17番連続で取って荒磯親方が16勝1敗と圧倒したとのこと。引退から1年が経った今も、稀勢の里健在を大いに見せつけたようです。
その稽古を見学した相撲解説者の舞の海秀平さんは「今場所出たら優勝!」と冗談交じりに荒磯親方を絶賛したといいます。
いよいよ荒磯親方の本領発揮か、新しい親方像に期待がかかります。
前回のテーマ「考える力」で、荒磯親方が考え続けて行きついた先が、「力を抜く」という極意であり、また「平常心」を心がけるということでした、と紹介しました。
荒磯親方が現役時代、考えに考えたあげくに辿り着いたこの極意、「力を抜く」「平常心」とはどのようなものでしょうか。
力を抜くことや平常心を保つということは、全ての芸道やスポーツに通じる極意でもあります。
力を抜くとは、力まないことでありましょうし、力んでいては平常心でいられるはずもないので、ここでは「力を抜く」に焦点を当て、剣道に照らし合わせて考えてみたいと思います。
斯く言う私も若いころ、師匠から「肩に力が入っている!」「力を抜け!」ときつく指導を受けてきた者です。怒った肩を面垂れの上から竹刀でボコボコ叩かれた経験が幾度となくあります。
自分としては、力んでいる積もりは全くありませんが、一生懸命になればなるほど肩が盛り上がってくるようです。おそらく肩から腕、手指に至るまで力み返っていたのでしょう。
それでは、と、仰せに従い力を抜いてみると、同時に気も抜け、身体全体に芯がなくなり全く剣道になりません。
この「力を抜いて、気を入れる」という、相矛盾する命題を前に四苦八苦の数年を過ごしました。
もう50年ほど昔の話ですが、稀勢の里に負けず劣らず、考えに考え抜きました。
思い起こすと、まず最初に出した答えは、力が弱いから竹刀を振るのに力んでしまうということで「腕力を鍛えなきゃ」です。重い木刀で素振りをしたり、腕立て伏せをしたりして腕力を鍛えました。そして何といっても竹刀を握る力が一番大事と、ハンドグリップで握力を鍛えました。
こういった鍛錬をしばらく続けたところ、甲斐あって竹刀を軽く振ることに功を奏したかに思えました。が、この考えが間違いであったのです。
握力や腕力を強くして、竹刀をあたかも箸を持って振り回すがごとく軽々と使えること。この目指す方向が剣道の上達とは全く相反するものであるということだったのです。
腕力を鍛え力に頼る方向性は、竹刀をより軽々と速く振らんがため、同時に自分の得物=竹刀を軽く軽くへと向かわせてしまうからです。今問題となっている、先細竹刀を好むのと同レベルです。
単に竹刀を軽く使い速く振れることが剣道のすべではないことを思い知ります。
そんなこんなで思うように上達が叶わないなか、宮本武蔵の『五輪書』を繙き、次の教えを発見しました。
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水之巻「太刀の道といふ事」
太刀の道を知るといふは、常に我さす刀をゆび二つにてふる時も、道すじ<注1>能くしりては自由にふるもの也。太刀をはやく振らんとするによつて、太刀の道さかいて<注2>ふりがたし。
太刀はふりよき程に静かにふる心也。或は扇(おうぎ)、或は小刀(こがたな)などつかふやうに、はやくふらんとおもふによつて、太刀の道ちかいてふりがたし。 それは小刀きざみといひて、太刀にては人のきれざるもの也。太刀を打ちさげては、あげよき道へあげ、横にふりては、よこにもどりよき道へもどし、いかにも大きにひじをのべて、つよくふる事、是太刀の道也。我兵法の五つのおもてをつかひ覚ゆれば、太刀の道定まりて、ふりよき所也。能々鍛錬すべし。
<注1>太刀の通る道筋。太刀はどのようにして振るべきかということ。
<注2>逆らって。
[宮本武蔵著、渡辺一郎校注『五輪書』(岩波文庫)より]
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これを読んで「太刀の道」を会得することが肝要だということに気がつきました。
扇子や小刀などを使うように速く振ろうとするから力が入るのだと反省。竹刀を振りやすいようにゆっくり静かに振る空間打突の修錬を自らに課しました。
そして力まず静かに振る空間打突を繰り返し錬磨することにより、今まで悪者としてきた力について、自分の中に一つの定見が降りてきました。
それは、力そのものが悪いのではなく、力を込めることが悪いのだ、ということを身をもって知ることができました。
力があることは概して良いことであるが、それを意図的に使おうとすることが悪い、と。
徐々に力まない振りが自分のものなってきました。
悟りの第一弾です。
次回は、力まない振りの実際についてお話したいと思います。
「よくよく鍛錬すべし」と突き放すのではなく、自己がつかみ得た過程を逐一、言語でもってお伝えする努力をいたします。
つづく