前回、「太刀の道」を会得することが肝要だということに気付き、竹刀をゆっくり静かに振る空間打突の修錬を自らに課した、と申しましたが、その気付きと「空間打突」の修錬に至るまでの経緯を申し上げます。
太刀の道を会得するうえにおいて、筋力があることそのものは望ましいことなのではありますが、得物(竹刀)を思うがままに操らんがため筋力に頼るのは、先述の「太刀の道」に違(たが)うことになります。
宮本武蔵は人並み外れた膂力(りょりょく)の持ち主であったとされていますが、大凡そういった膂力に恵まれた術者ならば、当然のごとく力まかせに得物をブンブンと振り回し、自分の強さをひけらかすものです。しかし、武蔵の考えはこれと全く違います。
武蔵は、あくまで力の存在を否定し、「太刀の道を知るといふは、常に我さす刀をゆび二つにてふる時も、道すじ能くしりては自由にふるもの也」と述べているのです。
すなわち、太刀の道に叶っていれば、指2本だけで自由に振ることができる、と。
指2本とは、対となる親指と人差指となりましょうか。この2本の指で持つだけで自由に振ることができると言いのけています。
先ほど武蔵は、あくまで「力の存在を否定」し、と申しましたが、誤解を招くおそれがあるので、もう少し詳しく申し上げると、理路として力の存在を否定しているのであって、持ち前の、あるがままに使い得る力まで否定しているのではありません。
言うならば「力を主体的、積極的に発動することを否定し」と表現した方がより正確かもしれません。
「太刀の道といふ事」のくだりを反芻することしばし、忽然と「太刀の道に哲理あり」という思いが沸々と湧き上がってきました。
では、「太刀の道」というものはどこにあるのか。
空間に筋道が存在するのか。
いや、神聖なる太刀といえども人造物に過ぎない。自然空間に人造物が通りゆく筋道などあらかじめ設(しつら)えられてあるわけはない。
であるならば、我が身体の内に存在するのか。
そういえば柳生新陰流に「人中路」という言葉があったな。
人中路の本意については不案内だが、なにか自分の身体の中に路(道)のようなものをつくり上げることなのか。
そもそも道というものは荒野を人々が歩き踏み固め出来たもの。
修業によって踏み固めるように太刀の道をつくる。ぅむ…..
「道すじ能くしりては自由にふるもの也」とあったが、その「道筋をよく知る」とはどういうことか。
ともかく、太刀の道を探ることから始めねば……
とりあえず素振りの見直しからの再出発です。
それまでも1日五百から千本ぐらい素振りを行っていました。素振りを数かけてやると打ちがしっかりしてくる、という教えを受けていたので、その教えを忠実に守ってのことです。
しかし今までやってきた素振りは、武蔵の言う「太刀の道」からは程遠く、振り数をかけることにより、竹刀を肉体化させるというか、竹刀があたかも自分の腕の延長のように使えるようになるため、との考えの方が強かったと思います。
とにかく、竹刀に血を通わせ神経を行き届かせる、という思いで振ってきました。 このような素振りも、それなりの効果はあったのでしょうが、如何せん力を頼りに、また筋力を強化するために振っていたことは否めません。
まずここから修正しなければ。
力を主体的、積極的に発動することを否定するのであれば、「振る」という言葉そのものを使うことも差し控えよう。「振る」と思った時点で力の能動性が惹き起こされるからだ。
ならば「振る」ではなく、刀の「上げ下ろし」と言おう、と。
次ぎに、刀を真っ直ぐ上げ下ろしして、その止める位置は、「面」の高さと「小手」の高さなのだが….. 今までは面とか小手の部位を強く意識して振っていたが、そこから脱却する意味において、部位そのものではなく「高さ」を意識することとしよう。頭頂とか臍の高さとか、などなど。
振るとは思わず「上げ下ろし」と考える。部位とは思わず「高さ」を意識する。このような無機質的な打突動作を毎日、繰り返し行うこととしました。
その打突動作に力の要素を極力減殺するためには、まず〝かたち〟をつくること。身体を前進させつつ刀を上げ下ろしする〝かたち〟を。
そして、この〝かたち〟をつくる修錬の方法を、従来の「素振り」と区別し「空間打突」と呼ぶこととしました。
ひとつ「空間打突」について言及しますと、今でこそ全剣連『剣道指導要綱』の「素振り」の説明文中に「空間打突」という語句が出てきますが、私が〝かたち〟ということに目覚め、発心した昭和50年代当初には指導要綱のようなものはありませんし、「空間打突」という言葉自体がなかった(少なくとも周りで使っている人がいなかった)時代ですので、自分ではこの「空間打突」という言葉はオリジナルと思っています。
空間打突は、素振りの範疇にあるのですが、私の中ではこの両者を峻別して位置づけました。
〝かたち〟という観念に目覚めた原点がここにあったと、今思われます。
つづく