その124 「丹田」の帰結

 前回「丹田の有用性について」を掲載させていただいてから、はや2か月以上経ってしまいました。
 やはり稽古をやらないでいると思考もまた停止してしまうものだとつくづく感じるしだいです。
 ともかく号外をはさみ過去2回において述べてきた「丹田」について、井蛙剣士としての結論を申し上げます。

 丹田は、ヨガや気功などでも重要視されている要所ですが、丹田の自覚により何よりも「剣禅一致」という言葉が身近に感じらるようになりました。
 「無念無想」とか「無我の境地」という悟得に達するには、まだ頑是ない身ではありましたが、禅呼吸の行法は丹田で行うと聞いており、これから先に訪れるであろう境涯を想像することで修錬の励みとしました。

 丹田については各種武術書を繙きましたが、そこに記されている内容はさまざまで、その多くが術者の思いを事々しく針小棒大に述べられているように感じます。

 しかし、私が信奉する『五輪書』には、不思議と丹田について一言も述べられていません。
 目を皿にしてそれらしき文言を探すと、ただ一か所だけ腰と腹について記しているものが「水之巻」の「兵法の身なりの事」にあります。

 「腰のかゞまざるように、腹をはり、くさびをしむるといひて、脇差の鞘に腹をもたせて、帯のくつろがざるように、くさびをしむるといふおしへあり」です。

 「腰をかがめないように、腹を張りをもたせ、楔を打ち込んだように、刀の鞘と腹を強固に締め、帯を些かも緩ませない、という楔を締めるという教えがある」となりましょうか。

 あれだけ実践的な術理を詳述しているにもかかわらず、こと丹田について一言も触れていないのは誠に不思議であります。武蔵特有の「能々工夫有るべし」とつけ加え、丹田のことを記述していなきゃ、おかしいです。

 そう言えば、もう一つ、私は一時期(平成4年から7年にかけて)、大東流合気武術の教えを受けていたことがあります。
 習ったのは宗範の*佐川幸義先生で、「神業の合気」と称されるほどの伝説の達人でした。
 ご存じない方は「佐川幸義」でネット検索していただければ一目瞭然です。

 間隔をおきながらも約3年間通いましたが全く上達しない私でした。しかし、佐川先生から直に指導を受けることによって、色々な身体経験や示唆に富むお話を伺ったりして、大いに見聞を広めることができました。
 ですが、その佐川先生も全く丹田の話をされることはありませんでした。

 いつの時代も、その筋の術者であれば必ずといってよいほど丹田について蘊蓄を傾けるはず…。
 その中にあって武蔵が丹田について全く触れていないのは何故か。
 それどころか、佐川先生は丹田を無きがごとくに振る舞われていたのはどうしてでしょう。

 「言う者は知らず、知る者は言わず」
 とまれ、私ごときは丹田の効験を説く資格はない、ということでしょう。
 よって、井蛙丹田これにて打留めといたします。
 
*さがわ ゆきよし
 1902年(明治35年)北海道湧別に生まれる。10歳の頃より、父・子之吉とともに大東流武田惣角の指導を受ける。1932年(昭和7年)4月24日北海道札幌にて惣角より教授代理を許される。以後惣角の助手として各地に指導に回る。1955年(昭和30年)から小平市の自宅に道場を開く。1998年(平成10年)3月24日永眠。享年95歳。
  -『合気修得への道 佐川幸義先生に就いた二十年』(木村達雄著)より-

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