その137 「機会」から「萌し」へ

 皆さん、大変ごぶさたしております。剣談の方も昨年12月から途切れておりました。昨春より全剣連HP「剣道みちしるべ」が転載されていることにかまけて筆を休めておりました。その転載も全30回が終了してから久しく、また読者からの催促もいただき改めて剣談をものすることといたします。

 表題に掲げた「機会」ですが、これは打つべき機会のことです。
 全剣連の『剣道指導要領』によると「打突の好機」は、
 ≪打突すべき最も良い機会。その代表的なものは、「技の起こり」「技のつきたところ」「居ついたところ」「相手がひいたところ」「技を受けとめたところ」などがある。これらをよく理解して稽古することが技能の向上のために重要である。≫
と記されていますが、その打突の好機の最たるものが「技の起こり」です。

 その「技の起こり」をとらえるのが「出ばな技」です。
 ≪「出ばな技」は、相手が攻め込もうとしたり打突しようとする動作の起こり端をとらえて打ち込む技であるので、よく相手の動きを察知することが大切である。特に相手の技の起こりがいちばん表れるのは剣先と手元の動きである。≫
と『剣道指導要領』には記されています。

 ところが、もともと私は動体視力が劣っており、伴って反射神経が鈍いという欠陥があります。すなわち、相手の「起こり端」をとらえることができないのです。
 試合や普段の稽古で間に合わないのは当然ですが、申し合わせの練習においても「起こり端」の機会がなかなかとらえることができません。

 反射の連続といわれる剣道の攻防で、反射神経が鈍いというのは、私そのものが剣道に向いていないことになります。
 しかたなく長身を利しフットワークよろしく遠間からの〝飛び込み面〟をもっぱらに稽古や試合に挑んでおりました。

 しかし30代を迎える頃、脚力に衰えを感じはじめ、徐々に遠間からの飛び込み面にかげりが見えてきました。
 また、それよりも、こんな〝当てっこ〟をいつまで続けていてはいけない、と自戒の念が強く起こりました。
 それでいて打突の機会をとらえられない…
 そんなジレンマの日々が続きましたが、「無い物ねだりをしない」と心に決めました。すなわち脚力や反射神経に頼らないということです。

 地力をしっかり身につけることを一念に、「心気力の一致」をめざし、一層稽古に励みました。
 そして修錬を続けるうちに、いつしか相手と〝気をつなげる〟ことの重要性がわかります。
 「気」の概念はなかなか難しいのですが、まずは「心」の状態ととらえました。
 攻めの気を発し、相手と気をつなげることにより相手の動きや働きをつかむことに努めます。

 それは、同じ「出ばな技」でも、相手の剣先や手元の動きに反応して「機会」をとらえるのではなく、その前ぶれである「萌し」をつかむことが大切だと気づいたからです。
 相手の打ち気がフツフツと沸き上がる「萌し」をつかみ、それが〝沸点〟に達したとき、合する一打をくだすことを旨に修錬に励みました。

 本来、剣道は遠間を旨としますが、私の思う〝気をつなげる〟を実地に体現するには、一足一刀の間合から更に間を詰めなければなりません。すなわち「近い間合」にもっていくことです。
 近い間合は、自分の打突が容易にとどくかわりに相手の打突もとどく距離であるので〝危険な間合〟といえるでしょう。その危険な間合でこそ、気の接点がもてるのです。
 そして気と気が噛み合い、相手の打つ萌しから打突行動まで、一連の流れをつかみ、その頂点をおさえる修錬は今も続けております。

 私も来月、77歳の誕生日を迎えます。還暦から此の方、徐々に身体各部の衰えを感じながらも何とか騙しだまし剣道の稽古を続けて参りましたが、古希を境目として、とみにその傾向が激しく、剣道のみならず日常生活にも支障をきたすようになりました。
 後期高齢者となったいま「無い物ねだりをしない」覚悟は、もっと必要となりましょう。
 身体機能の〝進化〟は叶わぬにしても、衰えたら衰えたなりの〝深化〟があること、これに希望を託し精進を重ねる所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします。つづく
頓真

一覧へ戻る