前回は、すっかり剣談から逸れてしまいました、が、アメリカ上院議会でのマッカーサーの証言がなかったら、もっと長期にわたってGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領が続いており、剣道の復活はまだまだ遅れていたでしょう。
マッカーサーの証言により、わが国の名誉が回復し、再びゆるぎない歴史と伝統を基盤として剣道は復活することができました。そのわが国の栄枯盛衰とともに歩んできた剣道でありますから、どうかもう少しお付き合いください。
「朝鮮半島において、韓国と台湾が共産勢力の手に落ちれば日本も危うく、極東での米国の陣地は失われ、防衛線はアメリカ西海岸まで後退しかねない。」
この説得力あるマッカーサーの主張は日本政府のとってきた、朝鮮半島を死守しつつ大陸の中ソと対峙するという戦略、また日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた政策と寸分変わりありません。
さらにマッカーサーは、広島・長崎の原爆投下を〝虐殺〟と表現しました。
この〝虐殺〟発言は、召喚された議会で、ある上院議員から、広島、長崎の原爆被害を問われると、マッカーサーは
「熟知している。数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも残酷極まるものだった」
と答えたのです。
原爆投下を指示したトルーマンを批判したかったようですが、原爆を〝虐殺〟と表現した意義は大きいです。
このマッカーサーの証言によりアメリカの国論は大きく変わります。
証言どおりならアメリカは今後、日本に対し占領政策を続ける根拠がなくなります。
マッカーサー証言は1951年(昭和26年)5月に行われましたが、そのわずか4ヶ月後の9月8日に「サンフランシスコ講和条約」が調印されます。
そして翌1952年(昭和27年)4月28日に講和条約が発効、矢継ぎ早に日本の主権が回復するのです。アメリカの統治は6年8ヶ月で終了しました。
まだ朝鮮戦争の最中です。
ちなみに朝鮮戦争は、その講和条約発効の1年3ヶ月後、1953年(昭和28年)7月27日、北緯38度線付近で膠着状態となり、休戦しました。そして、71年経った今もその状態が続いています。
小笠原諸島の返還が1968年(昭和43年)、沖縄の返還が1972年(昭和47年)です。小笠原諸島は23年間、沖縄は27年間アメリカの統治下に置かれていた、ことに鑑みますと、あのマッカーサーの証言がなかったら、もっと長く占領が続いていたことでしょう。
日本の主権が回復したことにより、戦犯(戦争犯罪人)の国内法上の解釈についての変更が通達されます。
戦犯拘禁中の死者は〝法務死〟とか〝刑死〟ではなく、全て「公務死」となり、抑留又は逮捕された人はすべて釈放されました。
また、マッカーサーは
「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ」
と語っています。
[中国共産党は、1921年(大正10年)7月に結党し、ソ連の支援を受けながら国共合作・日中戦争・国共内戦を経て中華民国政府(蒋介石総統)を台湾へ放逐し、1949年(昭和24年)10月1日に中国共産党主席、毛沢東が北京市天安門広場で建国宣言を行ったことで「中華人民共和国(中国)」が成立した]
これは米国が
「戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」
と言っているに等しい発言です。
マッカーサーは、日本の占領統治と朝鮮戦争を通じて日本の地政学的な重要性に気づいたに違いありません。
兎にも角にもマッカーサーは、戦後初期の日本の国運を大きく左右したことは間違いありません。
さて、「太平洋戦争」のことですが…
つづく