その143 「太平洋戦争」について

 前回はマッカーサーの証言により、アメリカの国論が大きく変わり、日本の矢継ぎ早な独立の回復が叶ったことについて述べました。

 ところで、今までこの戦争のことを「太平洋戦争」と呼称していましたが、本来の名称は「大東亜戦争」なのです。

 「大東亜戦争」は、1941年(昭和16年)12月の開戦直後に、当時の東条英機内閣が閣議決定した「宣戦の詔書」には、

 東亜の安定を確保し、世界平和に寄与し、万国が共に栄える喜びを共にしたいにもかかわらず、米英は、東亜の混乱を助長し、平和の美名に隠れて東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。
 事ここに至っては、自存自衛のため、速やかに禍根を取り除いて東亜に永遠の平和を確立し、日本の保全を期す。

と記されています。
 昭和天皇は、この詔書に接されたとき、「戦う理由を、ここまで明言されていたのか」と驚きを禁じ得なかったとのことです。

 GHQは、1945年(昭和20年)12月の覚書、いわゆる「神道指令」によって「大東亜戦争」という言葉の使用を禁じ「太平洋戦争」への置き換えを強制しました。
 GHQにとって、東亜の平和を確立するという「日本の大義」は不都合な真実でした。当時、「大東亜戦争」の使用禁止が、いかに戦勝国史観にとらわれ日本国の尊厳を傷つける行為であるか理解できると思います。

 「大東亜戦争」から「太平洋戦争」への置き換えは、WGIPの一環として行われました。
 WGIPとは、「War Guilt Information Program」の略で、和訳すれば、日本人に「戦争についての罪悪感を植え付けるための洗脳工作」です。
 これは、日本人の心に戦争への罪悪感を徹底的に植えつける宣伝計画であります。

 1951年(昭和26年)5月のマッカーサー証言は、日本側の「宣戦の詔書」を認めたことになるのですが… 
 とは言っても、わが国には占領期間にアメリカが行った占領政策が未だに尾を引いています。
 これもGHQのWGIPの一環として、わが国の歴史を否定するプロパガンダを行いました。
 その一つに、「真相はこうだ」というラジオ番組をNHK第1・第2放送で同時配信しました。これはGHQの「民間情報教育局」が企画したもので、「占領下の日本の民主化を推進するために制作したラジオ番組」という名目で放送されたものですが、日本の歴史を全否定する番組です。

 戦前・戦中の政治家や軍部の行いを悪しざまにでっち上げ〝真相はこうだ〟とばかりにラジオ放送したのです。
 NHK番組ですから誰もが信じてしまいます。
 多くの国民は、この放送を真に受け、いわゆる「自虐史観」というものを植え付けられ、自国の歴史に対する後ろめたさを背負わされてきました。

 民間情報教育局は「日本の民主化を推進」のためと言いますが、余計なお世話。わが国には古来(千四百以上前)より聖徳太子が制定した「十七条憲法」があります。

「十七条憲法」では、

 一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。

 (おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ)

 また、この「十七条憲法」を受け継いだ、明治政府の基本方針を示した「五箇条の御誓文」には、

 一、廣ク會議ヲ興シ、萬機公󠄁論ニ決スヘシ

(政治を行う際に多くの意見を求めること、政治に関して、すべてのことを会議で話し合って決めていくこと)

 一、上下心ヲ一ニシテ、盛󠄁ニ經綸ヲ行フヘシ

(身分の上下に関わらず、心を一つにして国家を治め整えていくこと)

 この「十七条憲法」と「五箇条の御誓文」の内容は、ほかでもない〝民主主義〟の定めそのものであります。
 なにもアメリカに教えてもらわなくても、わが国には古くから民主主義が根づいていたのです。
 いわば〝和式民主主義〟といえるでしょう。

 よって、今まで「太平洋戦争」としてきた呼び名を、次回から「大東亜戦争」と呼称させていただきます。
つづく

- 参考 -
 数学者で作家の藤原正彦氏は『文藝春秋』2024年8月号「古風堂々・六十三(投げられたガム)」で、戦後アメリカの占領政策について次のように述べています。

 終戦後、日本を占領したアメリカは、戦争責任者ばかりか、気に食わない人物を次々に追放した。降伏一ヵ月後の朝日新聞上で、米軍による原爆投下を非難した鳩山一郎や、東洋経済新報で「米国は日本に平和思想を植え附けると言うが、果たして米国がその使命にふさわしいか」と糾弾した石橋湛山も公職追放された。戦時中一貫して東条政権や軍部を批判していた二人だった。衆議院議員の八割、財界、学界、言論界の有力者の多くが追放された。
 アメリカは占領後間もなく、日本に対するWGIP(罪意識扶植計画)を開始し、その一環として何と言論の自由を封殺したのである。とりわけ、勝者が敗者を裁いた東京裁判、アメリカが一週間で作った新憲法、秘かに行なっていた検閲、市民を大量虐殺した原爆投下、などへの批判には極めて神経質になっていた。そのために数千人の日本人協力者を使い広範囲に見張っていた。検閲は新聞、雑誌ばかりでなく、(中央気象台)高層気象課長補佐にすぎない父への私信までが封を切られセロハンテープが貼られていた。彼等の目的は、三百万の日本国民が殺され、国際法違反の無差別爆撃により日本中の都市が廃墟となった責任は、すべて日本の極悪非道の軍部や軍国主義者にあるのであり米軍にはない、と日本人に刷りこむことだった。自らがそう信じ、日本人にそう信じこませることで、原爆投下という世界史に永遠に残る戦争犯罪への免罪符を得ようともしたのである。
 アメリカはさらに、「太平洋戦争史」なる宣伝文書を作成し、昭和二十年の十二月から各日刊紙に連載し始め、学校の歴史教科書として使わせ、同時にNHKラジオでこれを「真相はこうだ」として毎日曜の夜八時から三十分間放送させた。徹頭徹尾、日本軍の侵略性と残虐さを一方的に誇張し、人道的でやさしいアメリカが、善良な日本人を悪辣な軍部の手から救い出しにやって来た、と吹聴した。洗脳は、誠実で人を疑わない日本人に対し画期的成功を収めた。大多数の日本人がこれらを心から信じ、戦前や戦中の全否定は良識の一つとなり、それを高唱することで道徳的優越を感ずるまでになったのである。

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