その149 ”従軍慰安婦”について

 先般、NHKラジオ国際放送で「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな」などの発言があったことは記憶に新しいところです。しかし、今でもそのような喧伝がなされ、また、どうしてもそれに怯む感情が起こるのは長く日本人に巣くう宿痾といえましょう。

 

 剣道は「歴史と伝統を誇る」と言われていますが、本当に誇りを持つには、わが国の由来について正確な歴史を知る必要があります。自虐史観にさいなまれながらでは胸を張って剣道の修錬に勤しむことはできません。

 

 前2回は、流言おびただしい〝南京大虐殺〟について、様々な書物を抜粋し南京攻略についての真相に迫りました。今回は〝従軍慰安婦〟についても同じ手法で取り組んでまいります。

 

 まず「従軍慰安婦」を『広辞苑』(第六版)で調べますと、

 

≪日中戦争・太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となることを強いられた女性。植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた。≫

 

と記述されています。

 これも、ふつうの日本人が背負わされている負の歴史認識といえるでしょう。

 次に『ウィキペディア(Wikipedia)』で検索すると、「従軍慰安婦」では出てこず、「慰安婦」でヒットしました。

 

≪「慰安婦」という言葉は、日本軍公認の売春婦を指す言葉として誕生し、現在日本においては、他国の同様の女性に対しても用いられている。

 本稿では、各国の慰安婦の他、軍隊による性の管理の実態や歴史について扱う≫

 

と、言葉そのものの意味が述べられています。そして「日本の慰安婦」の項目には、

 

≪日本軍の軍用売春宿(慰安所)において性的労働に従事した女性のこと。大日本帝国から、日本人や朝鮮人、台湾人が慰安婦として海外の戦地に赴いた。中国大陸や東南アジアなどの戦地では、現地採用された慰安婦も存在した。≫

 

と記されています。

 

 どうも『広辞苑』の方は〝強制連行〟や〝性奴隷〟につなげたい意図がありありで、『ウィキペディア』の方はこれを〝売春婦〟ととらえ〝商行為〟であったことを正確に伝えようとしています。

 

 そこで、読者の皆さんにの中には〝売春〟の文字を見たとたん、〝従軍〟以前に「売春は犯罪である」とお思いの方もおられるかもしれません。

 

 ところが「売春防止法」が施行されたのが1957年(昭和32年)です。それまでは地域を限って売春を営むことが認められていました。これを「公娼制度」いって、特定の売春、接待行為を公的に保護し、特別の権益を与える制度で、公的に認められた特定の場所の遊郭などがその営業権を保証され制度的に確立したものです。

 この制度は戦後も保護され続けてきましたが、売春防止法の施行によって、公的な制度上の娼婦は見られなくなり、売春は犯罪となったのです。

 ですから戦時中は、この公娼制度のもとで慰安婦が性的労働に従事していた、と見なければなりません。

 

 『日本国紀 下』(2018年11月・幻冬舎文庫・著者:百田尚樹)の「朝日新聞が生み出した国際問題」で、

 

≪朝日新聞が生み出したもう一つの噓は、いわゆる「朝鮮人従軍慰安婦」問題である。昭和57年(1982年)、朝日新聞は吉田清治という男の衝撃的な証言記事を載せた。その内容は、吉田が軍の命令で済州島に渡り、泣き叫ぶ朝鮮人女性を木刀で脅し、かつてのアフリカの奴隷狩りのようにトラックに無理矢理乗せて慰安婦にしたという告白であった。

 この記事は日本中を驚愕させた。以降、朝日新聞は日本軍が朝鮮人女性を強制的に慰安婦にしたという記事を執拗に書き続ける。朝日新聞は吉田証言だけでも18回も記事にしている。

 ちなみに「従軍慰安婦」という言葉は、戦後、元毎日新聞社の千田夏光(本名、貞晴)らによって広められたまったく新しい造語である。吉田証言が虚偽であることは早い段階から一部の言論人らから指摘されていた。吉田自身も平成8年(1996年)の「週刊新潮」のインタビューで、「本に真実を書いても何の益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造を認めていた。

 ところが、朝日新聞がこの吉田証言に基づく自社の記事を誤りだったとする訂正記事を書いたのは、最初の記事から32年も経った平成26年(2014年)のことであった。実に32年もの間、朝日新聞の大キャンペーンに、左翼系ジャーナリストや文化人たちが相乗りし、日本軍の「旧悪」を糾弾するという体で、慰安婦のことを何度も取り上げた。≫

 

と記しています。

 さらに、

≪こうした日本の状況を見た韓国も、中華人民共和国と同様、「これは外交カードに使える」として、日本政府に抗議を始めた。朝日新聞が吉田証言を記事にしてキャンペーンを始めるまで、40年もの間、一度も日本政府に慰安婦のことで抗議などしてこなかったにもかかわらずである。

 韓国の抗議に対する日本政府の対応が最悪ともいえる拙劣なものであった。平成5年(1993年)、韓国側からの「日本政府が従軍慰安婦の強制連行を認めれば、今後は問題を蒸し返さない」という言葉を信じて、日韓両政府の事実上の談合による「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(いわゆる「河野談話」)を出し、慰安婦の強制連行を認めるような発信をしてしまったのである。

 途端に、韓国は前言を翻し、これ以降、「日本は強制を認めたのだから」と、執拗に賠償と補償を要求するようになります。≫

 

と述べています。

 また同欄のコラムでは、

 

≪2000年から、アメリカ合衆国のクリントン、ブッシュ政権下において、8年の歳月をかけて、ドイツと日本の戦争犯罪に関する大規模な調査が行なわれ、850万ページに及ぶ未公開や秘密の公式文書が調査された。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪に関するものであったが、日本政府や軍がいわゆる「従軍慰安婦」に関わる戦争犯罪を犯したことを示す文書は一点も発見されなかったという報告が、2007年にあった(「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班【IWG】アメリカ合衆国議会あて最終報告」)。≫

 

このように〝従軍慰安婦〟関する文書は一点も発見されていません。

 さて、それでは慰安婦はどのようにして集められたのでしょうか。

つづく

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