その157 「気剣体一致した打突」について

 「気剣体一致した打突」というのは剣道修業者において永遠の課題であると言えましょう。
 初心者の基本レベルから、試合における有効打突の要件、また段位審査の付与基準に求められる技術的力量まで、剣道の全てを集約したものが「気剣体一致した打突」であります。
 また、この「気剣体一致した打突」は、昭和50年(1975年)に制定された「剣道の理念」と大きな関わりをもっています。
 「剣道の理念」の
剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である

このフレーズはすでに皆さん口をついて出てくるぐらい馴染み深いものとして定着しています。
 しかし、ただ「剣道」という種類の運動を繰り返し修錬したら人間ができ上がるのでしょうか。つまり、剣道の修錬を続けることによって、その人の人格や能力、価値観、倫理観などを成長させ全体的な人間性を構築できる、のでしょうか。
 いえ、決してそうではありません。
 「剣道の修錬」と「人間形成」を結びつけるには一定の条件が必要となってきます。
 つまり、「剣の理法」を修錬しなければならない、ということです。
 しからば、「剣の理法」とは何ぞや、ということになります。 

 全剣連では昨年、令和6年(2024年)3月5日に『剣の理法説明版』を完成させ、目下、国内外に向けた案内・説明を推し進めています。
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『剣の理法説明版』(3月5日)

《本文》
「『剣の理法』とは、気剣体一致した打突を生み出すために心法・刀法・身法を一体としてはたらかせる理にかなった方法のことである。」

《補足》
「気剣体一致した打突は、心法(心のはたらき)と刀法(刃筋・物打・鎬などが機能する刀・木刀・竹刀の適正な操作)と身法(体勢・体さばきなどの身体の運用)とが一体となっているものである」
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 実は、この『剣の理法説明版』の記述にある「気剣体一致した打突」を生み出すための修錬こそが人間形成につながると考えます。

 剣道の難しさは、竹刀を両方の手で持つことにあります。いわば左右の手が拘束された不自由な状態となることが根底にあります。両手に手錠をかけられたような不自由な状態で戦うわけですから難しさを極めるわけです。

 それに加え「正中線」という最大の課題が目の前に立ちはだかります。相手と構えあった時、まず問題となるのは正中線です。双方が竹刀を持って差し向かえば、相手の中心と自己の中心を貫く線は一筋しか通っていません。当然、剣先で中心の取り合いになるのは必定。
 一方が中心を取れば片方は外れる。それを力頼みに中心を取り返しても詮ないこと。わが剣先が中心にあるがごとく感じるのも錯覚、それは虚像であって実像は大きく中心から外れていることに気づかなければなりません。すでに正中線の取り合いの時点で勝負はついているのです。

 力頼みで中心を取った剣先から打ち下ろされる一刀は、相手の正中線を大きく外れてしまいます。真っ正面に放ったはずの面技が大きくブレて空を切ることになります。
 その時、「しまった!」と思える人は、相当の技量を備えた剣士です。
 ほとんどの方は、相手が〝首で避けている〟と感じてしまうのです。
 これではとても「気剣体一致した打突」つまり「人間形成の道」につながりません。
 このことについては、いま一度、拙談「その101 体軸について」↓をご覧ください。
https://shinjukukendo.com/kendotheory/%e3%81%9d%e3%81%ae101%e3%80%80%e4%bd%93%e8%bb%b8%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/

つづく

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