その163 言論統制

 検閲官が開封した私信の続きです。これも『閉された言語空間 -占領軍の検閲と戦後日本-』(1993年9月・文春文庫・著者:江藤淳著)を引用させていただきます。
 これは小学生でしょうか、
≪通学の途中にも、ほかの場所でも、あの憎い米兵の姿を見かけなければならなくなりました。今日の午後には、米兵が何人か学校の近くの床屋にはいっていました。米兵は学校にもやって来て、教室を見まわって行きました。何ていやな奴等でしょう!ぼくたち子供ですら、怒りを感じます。戦死した兵隊さんがこの光景を見たら、どんな気持ちがするでしょうか。(昭和20年9月29日付)≫

 ここで注目すべきことは、当時の日本人が、戦争と敗戦の悲惨さについて、政府や軍部への批判や、自らへの悔恨の念をもっていなかったという事実です。
≪「数知れぬ戦争犠牲者」は、日本の「邪悪」さの故に生まれたのではなく、「敵」つまり米軍の殺戮と破壊の結果生まれたのである。「憎しみ」を感じるべき相手は、日本政府や日本軍であるよりは、まずもって当の殺戮者、破壊者でなければならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた。≫
と述べています。

 このような占領初期の状況において、一般国民の私信まで検閲した米占領軍の真意はどこにあったのでしょうか。終戦直後、日本に降り立った占領軍は、敗戦にまみれたはずの日本人の意外な状況に驚きます。
≪1945年(昭和20年)9月、逐次占領を開始した米軍の前で、日本人はほとんど異常なほど静まり返っていた。
 それに占領軍自身が驚いた。その驚きとともに、すべては「巨大な罠」ではないかと疑っていたのである。あれだけ強い日本軍を擁するこの国民が沈黙を守り続けているのは不思議である。この沈黙が解けたとき、にわかに血の雨が降り、米軍は一挙に殲滅されてしまうのではないか、と。≫

 私信の検閲は、占領軍当局が沈黙の日本人を心情を探る一つの手段であったのでしょう。
≪彼らは、この沈黙のなかに充満している情念と価値観を破壊しなければならなかった。
 早急にこの〝作戦〟に着手しなければ、彼らはいつあの「巨大な罠」にかかり、逆に殲滅されてしまうかも知れない。それは、彼らの眼から見れば、文字通り時間との競争であった。≫
≪そのためには、占領軍当局は、あの「巨大な罠」が作動するのに先んじて、日本人を眼に見えぬ「巨大な檻」に閉じ込めてしまわなければならなかった。≫

 それが前回述べた、「同盟通信社」に対する海外業務停止指令や「朝日新聞社」はじめ新聞各社への言論統制でした。
 また、CCD(民間検閲支隊)当局が、特に注目しつづけていたのは、やがて始まる「極東国際軍事裁判」(東京裁判)の戦犯容疑者と戦犯裁判に対する国民感情の動きでありました。
 そこでGHQ(連合国軍総司令部)が行ったのは、
≪CCDの提供する確度の高い情報にもとづいてCIE(民間情報教育局)が「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」(戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画)なるものを、数次にわたって極めて強力に展開していたという事実である。
 「プログラム」の第一段階は1946年(昭和21年)初頭から同年6月にかけての時期であった。しかし、新聞に関していえば、この「プログラム」はすでにいちはやく1945年(昭和20年)のうちから開始されていた。
 戦争の真相を叙述した『太平洋戦争史』(約1万5千語)と題する連載企画は、CIEが準備し、戦史官の校閲を経たものである。この企画の第1回は1945年(昭和20年)12月8日に掲載され、以後はほとんどあらゆる日本の日刊紙に連載された。この『太平洋戦争史』は、戦争をはじめた罪とこれまで日本人に知らされていなかった歴史の真相を強調するだけではなく、特に南京とマニラにおける日本軍の残虐行為を強調している。
 この「プログラム」が、以後正確に戦犯容疑者の逮捕や、戦犯裁判の節目々々に時期を合わせて展開されて行った。≫
と述べています。
 この「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」なるものが、文字通り日本人に戦争についての罪悪感を心に植え付けるための宣伝をして功を奏し、今のわれわれに「自虐史観」をしっかり定着させました。
つづく

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