前回まで5回にわたって「剣道とは、なにか」と題し、筆者が30年前にまとめた小論を紹介しました。
文中には舌足らずであった内容や、未熟な思考を繰り広げている部分はあるものの、今もその時の思いを引きずったままの剣道人生を送っております。
2年前、本連盟のホームページを立ち上げたとき、制作に携わった方から、新宿剣連の基本理念を載せてください、と言われ書き上げたのが、トップ欄の「一人ひとりが道を求め」です。そこには、新宿区剣道連盟の基本理念、と掲げられていますが、ホームページには看板が必要、ということで僭越ながら掲載させていただいたものです。
今になって気づいたことですが、前5回にわたって紹介しました拙論と、基本理念としてお示ししているものとは根っこの部分は変わりなく、それは依然として自己の前に立ちはだかる「剣道とは、なにか」の命題であります。
一 利を追わず理にしたがう
一 ぶれない体軸と太刀筋
一 ひるまない身体と心
この三本の柱は、剣道上達の筋道としていますが、同時に生き方の筋道とするものです。
といって、筆者自身これがきちんと体現できているかといえば、いささかあやしいものがあり、常に三本柱を胸に懐きつつも、身心ともに、もどかしさ消えやらぬ日々を送っております。
話を大きく『五輪書』に転じます。
天分も修行の度合も天と地ほど違うことはよくわかっておりますが、『五輪書』を読めば読むほど、四百年もの時空を越え、どうしても我が身とあの宮本武蔵を引き比べずにはおれません。
『五輪書』「地之巻」に次の記述があります。
[ 我、三十を越へて跡をおもひみるに、兵法至極してかつにはあらず。をのづから道の器用有りて、天理をはなれざる故か。又は他流の兵法、不足なる所にや。其後なをもふかき道理を得んと、*朝鍛夕練してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比也。其より以来は、尋ね入るべき道なくして、光陰を送る。兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて、我に師匠なし。](『五輪書』岩波文庫、渡辺一郎校注)
* 朝鍛夕練:『五輪書』「水之巻」にある、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」と同意。
原文のままで十分意味が通じるかと思いますが、一往の井蛙訳を試みます。
<我が30歳を越えてからの行跡をふり返って見ると、自分の剣術至極にして勝ったのではない。自ずから才能が備わっており自然の道理から離れない故か。または他流の剣術に足らないところがあったからか。その後、更に深い道理を得ようと朝鍛夕練を重ねて、自ずから剣の道に出合ったのは50歳のころである。それより先は、尋ね入る道もなくなり、ひたすら歳月を送る。剣術上達の筋道を当てはめて諸芸・諸能の道とすれば、万事、師匠がなくても上達するものである。>
この武蔵にして、「万事におゐて、我に師匠なし」と言わしめた、「すべてに通じる上達の筋道」とはいかなるものでしょうか。
さて、11月3日(祝)に行われました第60回全日本剣道選手権大会ですが、大阪の木和田大起選手が髙鍋進選手(神奈川)を準決勝で破り、決勝では内村良一選手(東京)に勝って初優勝を飾りました。
皆さん方の中には、会場の日本武道館でつぶさに観戦された方もおられましょうし、テレビまたはインターネットで観られた方も多くおられると思います。
あらためて優勝した木和田選手はじめ、地区の予選を勝ち上がり、晴れの檜舞台で健闘された選手の皆さんに祝意を表するものです。
さて、あの選手たちの素晴らしい身ごなし技前を目の当たりにされ、「自分もあのように…」と思われた方も少なからずおられたのではないかと思います。しかし、若い方々はともかくとして、中年を過ぎた人があの身動きをものにするのは、はっきり言って、無理、というものです。
剣道は、剣の理法を修錬するものではありますが、あの選手権クラスの技前には、「理外の理」というか、理法を超えた高度な競技能力というものが付き備わっています。それは若年期から、まさに朝鍛夕練を重ねることによって培われたもので、体力の限界を越える修錬の後に仕上がったものです。
ということで、中年剣士の方々には、このような選手権レベルの技前を目指すより、『五輪書』の理合の方が普遍性があり、ずっと身近なものであると申し上げておきます。
さきほどの「地之巻」最後の一節、「兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて、我に師匠なし」を、筆者は「剣道上達の筋道は、すべての道に開かれる」と解します。
さらに、「剣道上達の筋道を生き方の筋道とする」基本理念とも合致するものと考えるものです。
また後日、機会をもうけて『五輪書』による上達論を展開したいと思いますが、ただ剣道にはまた、もう一つの道があることも忘れてはなりません。
50歳で悟りを開き62歳で生涯を終えた武蔵。それにひきかえ66歳までのうのうと生き、いまだ悟りにほど遠い井蛙剣士、頓真。まさに「日暮れて道遠し」の感ありですが、それはそれでいくばくかのよろこびも味わっております。 つづく