その49 「武道への思い」、海外とのギャップ

 2020年オリンピック開催地が東京に決定しました。
 そして日本は、7年後のオリンピック開催に向け動きだしました。
 東京での開催は、1964年(昭和39年)に続いて2回目となります。

 柔道は、その昭和39年開催の東京オリンピックから正式種目となりました。そのとき剣道は日本固有のスポーツということで「公開競技」として参加します。

 当時は、全剣連が設立して10年少ししか経っていない言わばよちよち歩きの状況にあったわけですが、この東京オリンピックに触発され、剣道界では国際大会開催の機運が大いに高まります。

 そして、昭和45年(1970)には国際剣道連盟が創設され、同時に第1回世界剣道選手権大会が東京と大阪で開催されます。

 しかし当時の剣道界の内実は、まだまだ国内において競技スポーツとしての地歩を固めるのに精一杯の状況でした。

 また、ここにおいても少なからず、先の新渡戸『武士道』と同じように、海外と日本国内は、まるで正反対ともいえる、思わくの行き違い、があったことを指摘せねばなりません。

 本書『日本人の知らない武士道』では、

 一九六四年の東京オリンピックで柔道が五輪種目に採用されてから、新渡戸の『武士道』は海外を中心にあらためて読まれるようになった。
 日本が敗戦の荒野から奇跡的な回復を遂げたことに瞠目した世界は、その理由を「武士道」に求めた。戦時中、国家のために尽くした国民が、今度は会社に忠誠を尽くしたことが急速な経済成長を可能にしたと捉えようとしたわけだ。

と述べています。

 それは「海外からの恣意的な解釈だった」としつつも『武士道』が、戦後あらためて海外から評価を受けたわけです。

 そして、武士道=サムライ=日本刀、という関わりで剣道は海外から注目される存在となります。

 いっぽう日本国内では、当時まだまだ戦後の余波を残しており、「武士道」という言葉自体が市民権を回復していない状況下にありました。

 また、「武道」という呼称も教育の場において使うことは許されず、*「格技」と呼び名されていました。

 というのは、戦後、アメリカの占領政策は、日本の伝統を完全に否定するものでした。

 そのなかで、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の一文に象徴されるとする武士道書『葉隠』(山本常朝口述)は、軍国主義の権化として一時期禁書扱いにされるほどでした。

 また、日本古来の武道にも壊滅的な打撃を与え、特に剣道はGHQ(総司令部)から、国家主義、軍国主義に加担していたという理由で手ひどい弾圧を受けます。

 戦後の日本は、占領軍の指導のもとに教育の変革が進められ、民主政策の名のもと、スポーツはますます盛んになっていった一方で、剣道は全く反対の道をたどらざるを得ませんでした。

 いっぽう柔道は、「柔道の父」といわれた嘉納治五郎(当時、故人)が、IOC(国際オリンピック委員会)の委員を務め、日本におけるスポーツの道を開いた功績もあり、いち早くスポーツとしての地位を確立しました。

 そういった状況下における東京オリンピックですから、日本の柔道も剣道も確固とした武道の思想を培う状態にはなかったといえましょう。

 ですから、ベネット氏が本書で述べる「武道の実践による武士道の理解」という点において、海外からの要望を満たし得ぬまま、違う方向性でもって普及を推し進めてきたのではないでしょうか。

 特段に意図せずとも、形があって目に見え、また、与し易しの、大会・試合・競技、の方向に流れていったことは、やむを得ないことかもしれません。

 そして選手は「創始国日本」の肩書きを背負い、〝世界〟を冠した檜舞台に立ち、しかるべき役割を担うこととなります。

 しかるべき役割、それは〝金メダル〟の獲得です。 その東京オリンピックでは、柔道、無差別級の決勝で日本代表の神永昭夫はオランダのアントン・ヘーシンクに袈裟固一本で負け、金メダルを逸しました。

 柔道を「お家芸」とする日本は、本すじ武道といえる無差別級で負けたものですから、国全体に大きな衝撃がはしります。

 そこに日本人生来の、負けず嫌い、比較好き、が加わり、いきおい勝利至上主義が猖獗をきわめるのは当然のことです。

 いっぽう剣道では、有識者や専門家筋から「競技スポーツ化」していくことへの警鐘が鳴らされます。

 そして昭和50年(1975年)、「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」とする『剣道の理念』が制定されます。

 しかしその頃の剣道界では、勝利至上主義を危惧するほど競技が過熱する状況にありませんでした。
 また世界大会においても、日本が模範を示し、ほかの国々がそれにならうという大らかな親善色あふれるものでした。

 しかし回数を重ねるごとに、大会そのものが‘World KENDO Championships’の名のもと、直のチャンピオンシップへと様相が変わっていきます。それは如実に「日韓対抗」というかたちで現れ、次第に熾烈さの度合いを増し、そして現在に至っています。

 日本国内において、武士道、武道へのトラウマをかかえたまま再出発した剣道ですが、今あらためてこれまでの歴史を振り返り、そもそもの武道に立ちかえるときではないでしょうか。
つづく

<追伸>
 くしくも、9月24日(火)付『朝日新聞』(朝刊)の「文化」欄に、「柔道がJUDOを解
き放つ」と題する、今福龍太氏(文化人類学者・東京外国語大教授)の論述が掲載さ
れていましたので添付いたします。あわせてご覧ください。

* 「格技」という語は、「combative sports」の訳語として誕生させたものです。
「武道」という言葉が「military arts」と訳されるものならば、許可されないであ
ろうということで、柔道、剣道などを総称して「格技」という名称を使うことにした
とのことです。(「その二十三」より)

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