さる7月3日(日)、午後1時から3時30分まで、新宿スポーツセンター4階、武道場で「新宿区剣道連盟創立70年記念祝典、稽古会」が実施されました。
その式典の中で私の講話の時間を組んでいただきました。
当日、参加できなかった会員の皆様方のため、井蛙剣談に掲載させていただきます。
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新宿区剣道連盟創立70周年に寄せて
真砂 威
このたび新宿剣道連盟創立70周年を無事迎えることができましたことを、皆様とともにお喜びしたいと思います。
おめでとうございます!
私は新宿剣連の会員となって29年。まだまだ70年の歴史の半分にも満たない在籍ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

本題に入る前に、この写真をご覧ください。
井蛙剣談にも掲載しましたが、時事ドットコムの掲載記事です。
インターネットで〝戦後生まれ初の天皇 剣道〟と検索すると、「戦後生まれの初の天皇に 雅子さま支え、務め果たす」の記事に左の写真が出て参ります。
戦前なら不敬罪を畏れなければなりませんが、現在は国民に近い開かれた皇室でありますので、ぜひこの記事をスマホのホーム画面に追加していただき、皆さん方の剣友に教えてあげて下さい。
写真の垂ネーム(名札)に「徳仁(なるひと)」と記されているのが印象的です。
[小、中学校時代は剣道や山登りに打ち込み、高校になると将来の即位を見据えた「帝王学」も本格化した。]
[剣道部の寒げいこに励まれる学習院初等科5年の新天皇陛下=昭和46年(1971年)1月、東京都豊島区の学習院大学体育館【時事通信社】]
新しい令和の時代が幕開けした今、改めて剣と皇室との関わりに思いを致し、われわれが剣道を学んでいる意義をもう一度見直していこうではありませんか。
剣道に求められるもの
さて本題に移りますが、本日は新宿剣連創立70周年記念のお祝いの席でありますので、少々剣道の歴史の話からさせていただきます。
1.剣道のこれまで
現在の、防具を着け竹刀で打ち合う剣道ができたのは江戸時代の中期であると言われています。
ですから、竹刀防具剣道の歴史は三百数十年と考えてよいでしょう。
それ以前の剣術の練習法は、専ら型稽古が行われていました。
今の「日本剣道形」や「木刀による剣道基本技稽古法」のような型を何百の流派それぞれが定めて修行していました。
その三百数十年の歴史の中で、剣道存続の危機が大きく2回ありました。
その一つは、明治維新です。
江戸時代、武士は刀を差していましたが、明治の時代に入り、近代国家を目指したわが国に武士階級が消滅します。
必然的に刀は無用の長物となります。
刀が無用の世界では、それを使う技術である剣道は不要となります。
武士階級の消滅により、経済的基盤を失った武士の不平が高まり、反乱が全国各地で起こります。
明治10年、最後の反乱となる西南戦争で、政府側の警視庁抜刀隊が刀を振りかざして活躍しました。
その功がが認められ、警察で剣道が重要視されます。
武士階級はなくなったが剣道は残った
このことがなかったら剣道は存続していないでしょう。
警察が剣道の命脈を保ったといって過言ではありません。
今も全日本選手権大会等の大会で警察の選手が活躍していますが、それは明治時代からの伝統を受け継いでいるからであります。
もう一つの剣道存続の危機は、77年前、昭和20年(1945年)に日本が太平洋戦争に負けたことです。
アメリカなど戦勝国から、剣道は国家主義、軍国主義に荷担していたという理由で警察や学校で禁止になるなど著しい活動制限を受けました。
その後、約7年間の剣道空白期を置くこととなります。
そして昭和27年(1952年)、日本の独立回復と同時に剣道が復活、新宿区剣道連盟が創立しました。
したがって剣道そのものの歴史が70年ということではなく、戦後、復活して70年ということになります。
止むなくの中断はありましたが、剣道に使われる防具、竹刀は江戸時代末期のものと現在のものと寸分変わっていません。
スマホや電子機器など、日進月歩の技術革新がなされておりますが、こと剣道の道具に関してはすでに完成しており、改良の余地がないのです。
これぞ、まさに伝統文化といえるのではないでしょうか。
日本刀にしてもしかり、平安時代後期に作られた刀剣の質は、現在の科学技術をもってしても再現させることができないといわれています。
いま〝イノベーションの時代〟と言われていますが、「イノベーションなにするものぞ!」の気概をもちましょう。
– 今まで以上に、自信を持って剣道の稽古に励もう –
2.わが国の道徳
3年前には、あれほど盛況を博していた来日外国人観光客でしたが、このコロナ禍の下、入国規制によりすっかり鳴りを潜めています。
最近、入国規制を若干緩めましたが、なかなかその効果が表れるところまでいきません。
今、外国人が訪れたい国ナンバーワンが日本といわれています。
また、日本を訪れる外国の人たちは総じて日本や日本人に好意をもってくれているようです。
先ほど明治維新の話をしましたが、あの時代も外国人が多く日本に来ていましたた。
彼らは鵜の目鷹の目で日本を見ていたのでしょうが、井蛙剣談にも書きましたが、来日した外国人は一様に日本人の道徳心の高さ、礼儀正しさを褒め称えています。
そのようなわが国ですが、外国の人たちが一番不思議に思うのは、日本人は宗教について無関心な人が多いということです。
日本人に宗教の話をすると、一様に困った顔をする、また、ほとんどの人が返答できないと評しています。
これは今の時代も全く同じだと思います。
諸外国では、道徳は宗教によって教えられています。
ですから「無宗教」などと答えると、人間として信用をしてもらえません。
そのことについて悩み抜いたのが、明治時代の思想家、教育者であった新渡戸稲造です。
彼がヨーロッパ留学中、ある大学教授との会話が、教育と宗教の話に及び、教授から「あなたの国に宗教教育がない、と仰るのですか」との質問に、新渡戸が「はい、ありません」と答えると、「宗教教育がない。ではどうして道徳教育を行うのですか」と何度も聞き返したとのこと。
また新渡戸の奥さんはアメリカ人で敬虔なクリスチャンですが、奥さんからも、日本人の道徳教育について、何度も質問を受けていました。
新渡戸は日本人の道徳教育について、何度も何度も考えた挙げ句、武士の家で育った新渡戸が思い至ったのは、自分の正邪善悪の観念を形成しているのは「武士道」であった、です。
一言でいえば「武士の掟、すなわち武士階級の身分に伴う義務」であると喝破します。
武士の掟であった武士道がやがて〝民衆を感化〟してゆき、日本の精神的土壌に花開き、遍く国民の道徳教育なっていったか解明したのです。
そのことを書き表したのが世界的名著『武士道』であります。
新渡戸はアメリカで病気療養中、これを英語で記しましたが、さらにドイツ語、フランス語などに翻訳されました。
日本語にも訳されますが、われわれ日本人が読んでいる新渡戸『武士道』はいわば逆輸入ものです。
いま「逆輸入」とやや否定的な言い方をしましたが、実際ふだん日常生活で行われている「ふつう」のことは、やっている本人が意識をもって自覚して行っているものではありません。
「武士道」にしても、新渡戸が散々頭を抱えて、やっと思い至ったぐらいですから。
『武士道』が書き著されたのが明治34年(1901年)ですから約120年前のことです。
日清戦争(明治27・28年)と日露戦争(明治37・38年)の端境期にあたります。
この『武士道』は世界的ベストセラーになります。
当時のアメリカ大統領であった、T・ルーズベルトはこの『武士道』を読み感動し、すっかり日本びいきとなり、日露戦争の早期終結に力を貸してくれたと言われています。
- いまあらためて〝武士道〟を言問う必要がある –
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新渡戸稲造自身も敬虔なクリスチャンでありました。
そのことによって、一部の武士道研究者から新渡戸『武士道』を、キリスト教に接ぎ木した武士道、などと批判する人もいますが、日本の武士道をわかりやすく世界に広め、世界の人に日本人を理解せしめた功績は多大なものがあります。
3.「道」について
日本人は「どう道」ということばを好んで使います。
柔道・剣道・弓道、そしてそれらを総称する「武道」はもとより、花道・書道・茶道など数多く使われています。
またスポーツについても「野球道」と呼ぶなど、あらゆる分野に「道」をつけた言い表しかたをします。
いや反対に日本人は、あらゆるスポーツを武道的に行っているといっても過言ではありません。
グランドを道場と見立て、入退場には帽子を取って礼をしたり、用具を神聖視し大切に扱ったりします。
よく「文武両道」という言葉がつかわれますが、けっして武道に限らず、おしなべて勉強とスポーツを両立している場合に用いられます。
日本人は、とかくの事に「道」をつけて呼ぶことによって道徳的意義を問い、人格の形成や生き方と大きな関わりをもって考えてきたようであります。
生け花や手習いを「花道」「書道」と呼ぶことによって、習い事を人間形成の「道」に昇華させようとしました。
同じように、武士の心組み、生き方にかかるすべてを「武士道」と思想づけ、自らの道徳原理とし、また己を高めるすべとしました。
新渡戸が見いだしたように、わが国ではこの「道」が根底にあるゆえに、ことさら宗教の信仰がなくても国民はおしなべて道徳的であり得たのです。
この「道」という観念は、日本文化独特のものであり、日本人の意識構造や宗教観にも重要な位置を占めました。
そしてこの「道」が、わが大和民族の道徳を大きく支えてきたのであります。
武道や芸道における「道」は、「技術上達」イコール「人間向上」というふうに、身体と心あるいは技と心を一つとしてとらえようとするものであります。
「けいこ稽古」あるいは「修行」という言葉は、自己を向上させようとする営みとして表現されました。
武道や芸道を問わず、あらゆる「道」は、つまるところ「人間形成」という目的に集約されてしまうのであります。
翻って考えてみると、「宗教教育がない」といわれるわが国に、「道」の観念が衰退したら国民の道徳心が地に落ちるのは当然のことであります。
そしていま、わが国はその状態に陥りつつあるのです。
– 〝モラル崩壊〟の原因は「道」の観念が衰退したことにある –
4.節操に危うい日本人
日本人は、キリスト教やイスラム教などの一神教の国の人たちと比べると、きわめて宗教的に寛容であります。
卑近な例をあげれば、年末にはクリスマスを祝い、何日か経った大晦日にはお寺の除夜の鐘を聞き、一夜明け元旦には神社で柏手を打って新年を寿ぐ。
結婚式は教会、七五三は神社、葬式はお寺でということはごくふつうに行われています。
それは決して宗教行為ではありません。それぞれイベントとして使い分けて行っているのです。
そういう面では懐が広いというか、非常に大らかな国民であります。
古代からわが国には「八百万の神」といって、森羅万象に神の発現を認める習わしがあります。
いわゆる「多神教の神」です。
またこの八百万の神は仏教とも調和し、それぞれ矛盾なく信仰されてきました。
このことが他の宗教を大らかに受け入れられる素地となってるのだと考えられます。
しかし、このようなふるまいは一神教の人たちから見たら原理、原則のない〝なんでもあり〟の世界で、極めて節操のない所業としか写らないのであります。
そのとおり、日本人は一つまちがえば節操がまるでなくなる危うい国民なのです。
– われわれ日本人は〝節操に危うい国民〟であることを・・・しかと自覚すべし –
5.恥の文化、日本
武士は、武勇、信義、礼節、質素などとともに「廉恥」を重んじました。
この「恥」の意識は、武士の心情に強力な自己コントロールの力としてはたらきました。
戦後間もなく、アメリカのある文化人類学者が、日本文化を、欧米の「罪の文化」と対比して「恥の文化」だと断定する本を出しました。
両者の違いは、行いに対する規範や規制の根本が、自己の内なる良心にあるか、それとも自己の外側(他人の評価や批判)にあるかに基づいているとするものです。
要するに、西洋は、宗教に基づく道徳すなわち、良心の啓発を頼みにする社会だから「罪の文化」をもっている。
他方、日本は、外面的強制力に基づいて善行を行うような「恥の文化」に属していると分析しました。
要するに「罪の文化」では、悪い行いがたとえ人に知られなくてもみずから罪悪感にさいなまれる。
しかし日本人の「恥の文化」では、人前で恥をかかないようにすることが道徳の原動力となるというのです。
モラルの根拠が内にあるか外にあるかの違いであります。
ことばを変えれば、「神との約束」と「世間様の目」の違いといえましょう。
たしかに、日本人の節操の危うさは、どうもこのへんにありそうです。
日本人は、世間様の目がなかったら、あるいはみんなと一緒だったら、何でもやってしまいかねない無節操な面を持ち合わせている国民なのであります。
こういった日本人の性質を最も端的に言い表しているのが、あの、昔流行った「赤信号みんなで渡れば怖くない」です。
「旅の恥はかき捨て」もしかり。
見知らぬ土地、見知らぬ人の中では、つい放埒三昧に陥ってしまいがちなのが日本人なのかもしれません。
昔の武士のように「ぶれない」、「ひるまない」しかも「群れない」生き方をするにはどうすればよいのでしょうか。
– その手がかりが〝武道〟にある –
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先ほどの、西欧は「罪の文化」、日本は「恥の文化」を書いたのは、アメリカの女性文化人類学者のルース・ベネディクトという人で『菊と刀』という著に記しています。
彼女が見出した「恥の文化」という捉え方は、確かに当を得ていますが、一つ見落としがあります。
われわれ日本人は「世間様の目」ばかり気にしているのではなく、誰が見ていなくても「お天道様が見ている」と教えられてきました。これが日本人の道徳の源泉であることを申し添えておきます。
6.教育の現状
先に述べましたように、日本人は「道」ということばを好んで使います。
日本人は、武道に限らず、習い事あるいはスポーツを「稽古」あるいは「修行」と考えることによって〝生き方の道しるべ〟としてきました。
われわれは、この「○○道」を稽古・修行することが、他の国で行われている宗教の代替的行為となっていたのであります。
逆に考えるならば、宗教教育のないわれわれは、なんらかの「道」の習い事をしていなければ節操のない生き方となってしまうということかもしれません。
戦後、国民道徳の基盤が崩れたと言われていますが、それはもう少し年数を経てからのことです。
先に述べましたように、「道」の観念は、きわめて内省的であり、自己教育的なものであります。
それゆえに、日本人は昔から自己否定的にわが国を考える習性があるのです。
しかし、それが終戦直後においてはよい方向に発揮されました。
日本人の持ち前の内省力は、「一億総懺悔」というかたちで表れ、国民一丸、勤勉一色でいち早く復興を果たしました。
まさしく日本人「道」の力がなせるわざであったのです。
しかし、戦後の復興とその後の高度成長は、戦前の教育を受けた人たちが成し遂げたものである、ことをひとときも忘れてはなりません。
昭和22年(1947)に「教育基本法」が制定されました。
そしてその翌年、「教育勅語」が廃止となったのです。
「教育勅語」は、明治23年(1890)制定されて以来、国民道徳の根源、国民教育の基本理念を明示したものです。
具体的には「教育勅語」中段に15の徳目を掲げています。
そらんじておりますので披露いたします。
[爾臣民父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ、以て知能を啓発し、徳器を成就し、進んで公益を広め、世務を開き、常に国憲を重んじ、国法に遵い]
いま14項目を上げました。
両親に孝行、兄弟親しく、夫婦仲良く、友達と信じ合い、己を慎み、博愛を広く及ぼし、学問を修め、仕事を習い、知識と能力を蓄え、才能と徳をなし遂げ、進んで公益を広め、憲法を重んじ、法律に従い、と人倫の大綱を定めた「教育勅語」であります。
ところが15番目の
[一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし]
この一文が国家主義を唱導するものとして廃止となったのです。
これは、国に不測の事態が起これば正義と勇気をもって国の運命を支えるべし、というもので、ロシアのウクライナ侵攻など今の世界の情勢を見ていると、国民として当たり前のことであります。
こういった一連の教育改革といわれるものが、占領軍による日本弱体化政策であるとつゆ知らず、民主主義、平和主義、自由の謳歌、個性の尊重という価値判断のもとに着々と行われてきたのです。
そしてその中で、自分の国を批判する教育や、いわゆる「自虐的歴史観」の教育が長い間行われてきました。
また、それが真実であると思い込んでしまっている世代が、何代も積み重ねられてきました。
このようにして数十年が経ち、ついに「モラル崩壊」の時代を迎えることとなったのであります。
-〝モラル崩壊〟の原因はここにあり –
7.日本人の〝かたち〟をとりもどそう –
日本の伝統文化は「型の文化」といってよいほど型によって伝承されてきました。
また、武道や芸道に限らず、すべての身体表現は「型」によって受け継がれ、一つの共同体の人たちを類型化してきました。
次に、この「型」と子供の教育にいついて考えてみましょう。
教育は社会の安全と密接に関係します。
戦後この方、教育は子どもたちの自主性を尊重することを是として行われてきました。
子どもたちの自主性を尊重するということは、親や教師がひとつのことを教え導こうとする場合には、納得させるための「論理」が必要となります。
そして、子どもたちはそれに納得した場合にのみ教えに従うという構図となっています。
そういうことから近年、型稽古のような「有無を言わさず守らせる」という教育がなおざりにされてきました。
現在の子どもたちは「なぜ人を殺してはいけないの」また「なぜ泥棒がいけないの」「なぜ援助交際がいけないの」などと、「なぜ」「なぜ」とうそぶいて親や教師たちを困惑させます。
その「なぜ」に満足な論理が展開できず大人たちは子どもの前にたじろいでしまいます。
戦後教育の弊害はここにも表れ、家庭崩壊や教育崩壊の一因にもなっています。
作家で数学者の藤原正彦さんのベストセラーとなった著書『国家の品格』は、このような現在の教育問題の根幹について一石投じるものでありました。
ここにその主要な部分を読み上げます。
[論理だけでは物事は片付かない、論理的に正しいということはさほどのことはない。数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになった。そして「情緒」とか「かたち形」というものの意義を考えるようになりました。
野に咲くスミレが美しいことは論理で説明できない。モーツアルトが美しいということも論理では説明できない。しかし、それは現実に美しい。卑怯がいけない、ということすら論理では説明できない。要するに重要なことは論理で説明できない。論理で説明できない部分をしっかり教えるというのが日本の国柄であり、またそこに我が国民の高い道徳の源泉があったのです。]
藤原正彦さんは、論理の限界を説き、「なぜ」とのうそぶきには、理由など告げず、「駄目だから駄目」ということに尽きる、ときっぱり言い切っておられます。
「駄目だから駄目」有無を言わさず守らせる、これが「型」の教育であります。
論理を専らとする数学者の言葉だけに、まさに得たり、目から鱗が落ちる思いをしました。
こうした型を重視し、また日頃、剣道をたしなむことによって、日本人らしい倫理観や道徳観を培う教育を施したいと考えるものです。
最後に「型」に関連してのお話をいたします。
明治時代の末に剣道を中学校の正課に採り入れることになります。
ところで何百流ある流派の中からどの流派を採り入れるかが問題となりました。
これをまともに全国的展開で議論すると収拾がつかなくなります。
そこで、教育を一手に担う文部省(現在の文部科学省)と教員を養成する東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)と武道界を統べる大日本武徳会(戦後、解散)の三者が協議して決めたのが「大日本帝国剣道形」(現在の「日本剣道形」)です。
「自己の流派を少しでも残そうと、匕首を呑んで議場に臨んだ」などという、まことしやかな話もありますが、すでに竹刀防具剣道は流派の垣根を越えたやり取りが行われており、学校教育に剣道が採り入れられることを至上の喜びとする多くの剣道家は、小異を捨てて大同につく、この三者に委ねたものと思います。
これが大正元年、110年前に制定された日本剣道形であります。
いま私は、六段以上のすべての段位審査に顔を出しております。
北は北海道、南は沖縄まで、また外国人剣士も加わった受審者が、形審査を受けます。
立会人から「日本剣道形はじめ」の号令がかけられると、一斉に、打太刀「諸手左上段」、仕太刀「諸手右上段」の構えに転じます。
そして、静々と太刀の形七本、小太刀の形三本が寸分の違いもなく演じられます。
この形審査の光景を見て、往事を振り返り、感慨深いものがあります。
剣道の永遠なる振興を心から祈念するものです。
長時間、ご静聴有り難うございました。
皆様方のご健勝ご多幸を祈念申し上げます。
– 完 –