第8回 みちしるべ 「全日本剣道演武大会」に思う

    『剣窓』令和8年(2026)7月号

第8回 みちしるべ

「全日本剣道演武大会」に思う

歴史に足を踏み入れる

 多くの「剣窓」読者が参加されていますが、5月のゴールデンウイークは全日本剣道演武大会(通称「京都大会」)が行われる京都「武徳殿」界隈は、毎年この時期、剣道一色に塗りつぶされます。武徳殿に隣接する「武道センター」は終日竹刀の音が鳴り響き、周辺の武道具店、飲食店等は剣道関係者で賑わいます。

 この京都大会は、明治28年(1895)以来「武徳祭大演武大会」として行われてきたもので、戦中・戦後期に中断した後、これを全剣連が継承し執り行ってきました。今年は、第122回目となる京都大会を無事成功裏に執り行ことができました。本誌、本年6月号31頁に掲載。

 歴史をふり返ってみますと武徳殿は、平安神宮の境内にある旧大日本武徳会(明治28年創立)の演武場です。武徳殿をこの地に設けた由来は古く、桓武天皇による平安遷都に遡ります。その時代に興った尚武の気風のもと、『日本紀略』に記された「延暦十五年三月庚戌、令諸國擧武藝秀衆者(諸国に命じて、武芸に優れた者たちを選び出して差し出させよ)」によるものです。当時、平安京大内裏の大極殿の北西に演武場が造営され、武芸がされたという故事にならい、新しく明治32年(1899)に平安神宮の境内に造営されたのがこの武徳殿です。

 そして京都大会の日程も、『日本紀略』に掲げる「三月庚戌」を太陽暦に換算した5月4日に武徳祭、5日から大演武会を催こととしました。延暦15年と言えば西暦796年、なんと、この故事をもってすれば京都大会は、1200年になんなんとする来歴をもつことになります。武徳殿は現在、京都市の有形文化財に指定され保存がはかられています。

 京都大会の演武は、剣道・居合道・杖道のほかや各種武道が加わって行われ、本年は4千名を越える演武者が全国から集まりました。また、近年は外国からの参加者もとみに多くなり国際色が豊かな大会となっています。

 コロナ禍で第116回大会(令和2年)と第117回大会(令和3年)の大会が中止になりましたが令和4年(2022)の118回大会からは感染症対策をしっかり整え実施しています。

 この大会は、高段者にとって1年間積んだ修業の総決算というべき晴れの舞台であります。また全国各地から集まった剣友諸氏にとって、年1回の交歓あるいは同窓会の場ともなります。コロナ禍でしばらく下火となっていましたが、武徳殿周辺は「柳生の会」(「中堅剣士講習」参加の期別に行われる集い)はじめ学生剣道連盟OB会、道場連盟や○○大学同窓会等の稽古会・懇親会等が盛況を取りもどしつつあります。

 

真髄を求めて

 京都大会の出場資格は、称号(錬士・教士・範士)の受有者に限ります。剣道の立合は、武徳殿を東西2会場に分けて行われ、範士の立合は拝見試合とされ、勝敗の判定は行われませんが、錬士・教士の立合は3人の審判員によって有効打突の判定がなされます。

 立合は、いちおう試合方式をとりますが、単なる優勝試合とは一線を画します。まず、勝敗の行方に一喜一憂する一般の大会と違い、立合前後の礼儀作法を含む全ての所作に審美の目が注がれます。                                  

 この京都大会に限っては、まず試合・審判規則ありきではなく、「剣道の理念」体現を目指しての立合となります。ですから鍔競り合いの膠着や、また〝三処避け〟などといわれる防御一辺倒の体勢は目にすることはありませんし、反則も不慮の竹刀落とし以外は皆無といってよいでしょう。そのほか審判員の服装も特段の規定はなく平服で行われ、審判員は紅白の旗を持たず、また試合場には境界線は設けられていません。

 立合においては双方が「合気」を旨として剣を交え、しかも有効打突の取得という結果を最優先させるのではなく、有効打突を生み出すまでの「間合」「気勢」「攻め」といった手順が重要視されます。また、技を打ち出す「機会」から「打突姿勢」「決め」そして「残心」という技の完結に至るまでの一連のプロセスが尊ばれます。

 それはまさしく古人が、武術という争い事の域を越えて、剣に道を求めた武士文化の精華であると言えましょう。このような立合の積み重ねが、いつしか「交剣知愛」の教義を生む土壌を育んだと考えるものです。

 

 - 剣道のメッカ京都「武徳殿」、それぞれが稽古・立合・審査と幾重もの洗礼を受けつつ、旧来の剣友と誼を交わし、京料理に舌鼓を打ち、古都を散策する -

 

 皆さん、来年はぜひ、玉座を設けた歴史の殿堂「武徳殿」に足を踏み入れ、真髄を求める剣士たちの息づかいに浴してみませんか。

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